2005/11/06 (日曜日)
『景観再生』
「真上を横切る首都高速道路に、橋が押しつぶされそうになっている」「利便性を最優先してきた日本社会の縮図なのだろう」...と11月6日付け道新が卓上四季で書いていた、日本橋の画像です。
(一緒に北海道展に行った "ほりべいさん" が写してくれました。)
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コメント
皆さん、こんにちは。
>「真上を横切る首都高速道路に、橋が押しつぶされそうになっている」
>「利便性を最優先してきた日本社会の縮図なのだろう」…
悲しいですね・・・。"ほりべいさん"のお写真で改めて痛感させられます。
数年前、出張で日本橋のビジネスホテルに泊まり、皆で唖然となったことを
思い出しました。これがあの有名な日本橋かと(^^;)
歴史に出てくる日本橋の面影もない・・・。
もちろん、小樽も他人事ではありませんよね。
運河、手宮線、街並み、歴史的建造物、積丹の海岸線もそうです・・・。
既に、自分が子供の頃とは変わってしまったものも多いです。
生活様式の変化、車社会の発達、老朽による危険、財政の問題などで
「今あるものをそのままに」は難しいのでしょうけど、大切にしたいです・・・。
生意気なことをすみませんm(__)m
投稿者 fisherman : 2005年11月14日 13:04
fisherman さん、こんばんは。
>これがあの有名な日本橋かと(^^;)
>歴史に出てくる日本橋の面影もない・・・。
私が初めて日本橋を歩いて渡ったのは、高速道路が出来たあとでした。
(子供の頃、日本橋三越に行ったことはありませんでしたので。)
上の高速道路が「橋」なのかと勘違いしたほどです。今、日本橋に立って、浮世絵に描かれた頃に思いを
馳せることは、想像力が相当あっても難しいと思います。
オリンピックに間に合うように高速道路を作ったのは、凄いプロジェクトだったことは確かだと思います。
小学生から中学生だったころ、記念切手を集めるのがはやっていて、首都高速開通の切手も1枚買いました。
その時は、綺麗なデザインの切手だなと思った記憶があります。
でも、今、あの光景を見て "都市の機能美" と言うのは無理ですね。
>もちろん、小樽も他人事ではありませんよね。
>運河、手宮線、街並み、歴史的建造物、積丹の海岸線もそうです・・・。
>既に、自分が子供の頃とは変わってしまったものも多いです。
道新のコラムにはソウルの例が紹介されていましたが、自然の景観も歴史的な街並の景観も、
いったん壊れてしまったら、元に戻すのは難しいですね。
7月に小樽に行ったとき、毎日運河プラザに通いましたが、3日目に行った時、カウンターに年配の
女性が座ると、売店の人が「時々こちらにも降りていらっしゃるんですか?」と丁寧に話しかけていました。
2人の話を聞くともなしに聞いていると、しばらくして、その方が、
「…小樽はこれでも残った方なのよ。景気が悪かったから、それがかえってよかったのね。… これから、
しっかり残していかないとね…」というようなお話をされていました。
名のある方だったのかもしれません。私もその会話に加わりたかったのですが、帰りの電車の時間が
迫っていて、お話はできませんでした。
先日の三越の北海道展では、あまり長く山口さんのお邪魔をするのも申し訳なくて、「一回り見て、
また帰りに寄ります」と言って、会場を見て回りました。その時、小樽から出店しているあるコーナーの
方と少し立ち話をしました。私が「雪あかりの路に行ったことがあるんですよ」と言うと、「浅草橋の近くが
賑やかになりましたよ」と話してくれました。銀行協会のビルを壊して、屋台街"小樽出抜小路"が出来た
ことを指していたのだと思います。
それを聞いて、小樽の地元の方々の間でも、景観の議論はなかなか難しいものだと感じました。
投稿者 s.fujino : 2005年11月15日 01:56
s.fujinoさん、こんばんは。
運河プラザで、そのような事もあったのですね。
その女性は誰なんでしょうね・・・。
>でも、今、あの光景を見て "都市の機能美" と言うのは無理ですね。
そうですね・・・。見慣れているfujinoさんでさえそう思われるのですからね(^^;)
あくまで統計的にですが、小樽の人口が東京では3km四方に入ってしまう・・・。
”世界が注目”と言われた首都高も、地下何層もの地下鉄も高層ビルも、
何年か住みましたが、どうしても馴染めませんでした(TT)
それがかえって、金を貯めては日本全国を旅行、の原動力だったのですけどね(^^;)
小樽運河改造の時、参考に倉敷も見学した、と当時の市が発表していました。
もちろん自分も行ってみました。
倉敷は、倉敷紡績でも知られる通り、実は工業都市です。
誠に申し訳ないですが、自分は倉敷の運河自体には魅力を感じませんでした。
が、周辺の景観調和には素晴らしいものがありました。
アイビースクェアもそうです。
あてもなくバスに適当に乗って、郊外の住宅地や公園なども見て回りました。
かなりノスタルジーを感じましたね。小樽よりは大きな街ですけど。
津和野も大好きですが、あの街なみを守るには、相当の努力と資金が要る、
と思います。小樽もそうでしょう。
ぶっ壊して普通の建物にした方が、簡単だし安いですもんね(^^;)
>自然の景観も歴史的な街並の景観も、いったん壊れてしまったら、
>元に戻すのは難しいですね。
仰る通りと思います・・・。その女性の言われる通りなんとか守ってほしいですね・・・。
首都高の開通記念切手ですか?すごいですねそれは!!見たことありません。
もしよろしければ画像を載せてください(^o^)
投稿者 fisherman : 2005年11月17日 00:33
fisherman さん、こんにちは。
倉敷も津和野も、残念ながら行ったことがないんです。
大きく注目されたころ、タイミングを逃してしまって…
まだまだ行ってみたいところが、たくさんあるのですが。
>首都高の開通記念切手ですか?すごいですねそれは!!見たことありません。
>もしよろしければ画像を載せてください(^o^)
切手蒐集は、大人も子供もブームになった頃でした。子供のこづかいでは
利殖をねらう大人のようにシート単位では買えませんから、発行日に郵便局に
行って1枚買って、大切にストックブックに入れて眺めていました。
趣味週間とか国際文通週間はデザインに人気があって、放課後では売り切れに
なってしまいそうで、母に頼んだこともありました。
…そんな、忘れかけていたことを思い出しました。
そのストックブックは、あの夏の絵日記が入っていた箱にあるはずですから、
今度探してみます。
「切手でたどる現代史」というページがみつかりましたので、ひとまずそちらを
見てみてください。1964年のところです。
もっと空色のきれいなデザインだったような気がしましたが、記憶違いでした。
描かれている場所がなんと日本橋付近、ということも初めて知りました。
投稿者 s.fujino : 2005年11月17日 12:24
おはようございます、s.fujinoさん。
最近はいろんな時間に出没しております(^^;)
>「切手でたどる現代史」というページがみつかりましたので、ひとまずそちらを
>見てみてください。1964年のところです。
ありがとうございます。おもしろく見させていただきました。
10円切手ですか・・・。当時は郵便料金がどれくらいだったのでしょう・・・。
1964年、fishermanは1歳です・・・。
s.fujinoさんの通り、東京オリンピックがあった年ですから、
新幹線、首都高、ケーブル開通など画期的な事が多かったのですね。
>そのストックブックは、あの夏の絵日記が入っていた箱にあるはずですから、
>今度探してみます。
期待しています(^o^)
自分も子供の頃、切手は少しあったはずなので探してみます。
>倉敷も津和野も、残念ながら行ったことがないんです。
>大きく注目されたころ、タイミングを逃してしまって…
>まだまだ行ってみたいところが、たくさんあるのですが。
そうでしたか・・・。自分ももう、ずいぶんと行ってません(TT)
やっぱり、津軽海峡は大きな隔たりなのでしょうか(^^;)
でもs.fujinoさんの勢いならすぐにでも行けるかと(^^;)
投稿者 fisherman : 2005年11月18日 08:43